先に結論を言うと、そうすると自信がつくからです。
自信がつくと、勇気が出る。何か行動を起こすには必ず必要なものです。
「嫌われる勇気」で有名なアドラーもこう言っています。
「人は自分に価値があると思える時に人は勇気を持てる」これは読んでいる時には実感がなかったのですが、自分で経験するとよく分かるというものでした。
アドラーは、他人を幸せにしたという実感を持つことができると、自分は価値があるのだと思える、と言っています。
なぜなら人は社会的な生き物なので、社会に貢献し、その一因であるという気づきを得ることでしか実感できないからなんでそうです。
僕は以前、アートはお金で取引なんか出来るものじゃないと思っていました。気持ちだから。
そして僕の絵が欲しいという人がいれば差し上げていました。
そういう人は、僕だけではないと思います。
だけどこれではお互いが幸せにはなれないんだと思いました。
その作品に関わる全ての人たちが幸せになるべきなのに、作品を手に入れた人だけが無条件に良い待遇を受けているからです。
嫉妬などではなく、これは社会がどのように構築されているのか、という問題なのです。
お金を払ってある作家の作品を買う、という取引には、ひとつの共同体が生まれるわけです。
作家、ギャラリー、購入者。
そして作品がひとつ売れるということは、ここに示した3者が幸せになれるのです。
購入した人はお金を払った代わりに欲しいと思った作品を手に入れることができた。
ギャラリストは運営の手間の代わりにお金を手に入れることができた。
そして、作家は情熱を持って作った作品を誰かに認められ、お金と交換した。富そして自信です。
これは、作家の出来うる最大の社会貢献なのではないでしょうか。
特に作品が売れた時の喜びというものについて言及しておきたいと思います。
これは心のそこからグッと突き上げてくるような喜びで、自分の作品を求めている人がいるのだ、自分は、誰かに必要とされているのだ、という晴れ晴れしい、誇らしい気持ちなんです。
これ以上の喜びは、恋愛くらいしか今思いつきませんね。
僕はジョセフボイスの社会彫刻というコンセプトがとても好きで、だけど作品を作るだけでは誰も幸せにすることは出来ないよな、と、これは単に独りよがりなんじゃないだろうか、などと考えていた時期もありました。
僕は絵がメインですからね。
世の中をより良い場所にしているという実感はなかったけれど、欲しかったんです。
ただ、今回のアメリカでの個展にて作品が売れたことで、大きな心境の変化がありました。
作品は、もっと世に出そう。
そして売ろう。
それは全く悪いことじゃないんだ、と思えるようになりました。
もしあなたの作品を欲しいという人がいれば、どんな些細な値段でも良いです。
売ってください。
そして出来る限り日の目を見させてあげてください。
それがアーティストとして、やはり最大の社会貢献なのではないかなと思う次第です。
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