夏の思い出〜捨てられていた子犬を保護した話:別れ〜

essay

前回のお話:茨城に旅行中、山に子犬が捨てられていたので保護しました。

里親探し

次の日には本格的に、非常に重い腰を上げて里親探しを始めました。

正直に言ってしまえば、里親を探すよりは飼ってしまったほうが楽なのではないかとも考えました。

それほどまでに里親探しというのは大変であることを理解していたからです。

私たちはこれまでに、迷い猫の保護をしたことがありました。(そして小さい時から数えると妹と一緒に何度も犬猫を拾っては探してきた)

まるおという可愛らしい猫でした。懇意にしてくださっている保護猫団体、ねこかつ様がいたからこそ引き渡すことが出来ましたし、何しろ猫と犬とでは保護する際の労力も違ってきます。

まるおの思い出

猫はその性質上、トイレを覚え込ませるのは難しくはありませんが犬は一匹だけでも相当なものです。

おまけに大きくなるし、吠えるので密集した都会での保護は難しい。

とはいえまだ子犬だし、可能性はあると考えました。

妻はまず保護した茨城にある各地の保護団体へと片っ端から電話・メールをして相談してみました。

お盆の期間であったが故に、電話に出てくれた団体は一つでしたが、やはり子犬とはいえ収容するにはもういっぱいいっぱいで、一度団体内で話し合いをして決めていかなければいけないとのことでした。

一方僕の方は、ネットで調べてみるといつでも受け付けてます!という大掛かりな団体もありましたが(名前は伏せますが)、よくよく調べてみると悪質なビジネスをしているという意見もかなり見えて、心配だったのでやめました。

ペット産業は闇が深いので、あまり関わりたくはないですよね。

頼みの綱であるアート仲間であるジェームスとその母親にも訪ねては見たのですが、昔飼っていた犬が死ぬ間際に相当苦しい思いをしたそうで、もう2度と犬は飼いたくないと、申し訳なさげに断られてしまいました。

代わりにというわけではないけれど、知り合いに片っ端から犬が欲しい人いないかと訪ねてくれました。

持つべきものは友。

頼みのSNS

数日が経ち、他の保護団体からも返事が来ましたがやはり難しいとのこと。

最後の頼みの綱はSNSかな?となりました。

僕、SNSは非常に苦手です。Twitterは政治の情報収集ツールに成り下がっているためフォロワーはほぼいないし(というか発言もしてない)、Facebookには全くアクセスしていない。

Instagramだけは、アメリカにいた頃の友達との連絡によく使うため、そしてアート作品を見せ合う場所となっていましたので、じゃあそこで一度乗せてみようと考えたわけです。

Twitterに載せてしまえば、拡散力があるため誰かの目に止まるかも?とも考えたのですが、まずは自分の知り合いに聞いてみるべきだと思った次第です。(フォローいないし・・)

和尚には情も移っていたし、知らない人に渡すのは不安。ましてや、保護団体が収容してくれたとしてもシェルターで寂しく、また拾われるのを待つ姿を想像するだけで胸が苦しくなるのでした。

Instagramには、とにかく可愛い和尚の写真をいくつも載せて、詳しいエピソードを添えた投稿をしました。あまり吠えたりもしないいい子で、人懐っこいということ、獣医によるとまだ生後3ヶ月だという事も載せて。

Instagramには、Facebookと連携して同じ記事を両方に掲載してくれる機能もあります。この連携機能も一応使って、いよいよ投稿しました。

30分で里親が決まった

すると、ものの30分で十年以上もあっていない友人から「私の実家で飼いたい」という声がかかりました。

その友人は昔一緒にアートを勉強した仲間で、今はYouTuberをしているため、遠くからなんとなく見守っていた人であります。

聞けば、ここ何年もFacebookなんて見たことがなかったが、さっき偶然開いたところ僕の投稿が一番頭に飛び込んできて、子犬のあまりの可愛さに一目で決めてしまったとのこと。

母が昨年に買っていた犬を老衰のため看取ってから、ずっとペットロスだったためいよいよ保護犬譲渡会に週末行こうと思っていた(そしてネットの情報からなんとなくビーグルの子に目をつけていた)とのこと。

運命ってあるんでしょうか。

和尚は初めから、この家に家に来ることが決まっていて、偶然あの時山で僕らと出会ったのではないでしょうか。

ペットとの出会いもご縁だとよく言いますが、何かしら見えない力で僕らは突き動かされていたんだなと思ってしまいました。(直前に行った花園神社の力?)

僕は時々、天使だとか神様やご先祖様のお導きみたいなものを感じる事がありますが、今回はその働きを目に見える形で感じる事ができたような、そんな不思議な経験をさせてもらいました。

花園神社の御神木

お盆休みだったので、死んだじいちゃんばあちゃんの導きだったのかも?

和尚とのお別れ

その友人とあれこれやり取りをしているうちに、Instagramではたくさん拡散してくれる友人がいて、ちらほらと知らない人からも「譲渡の条件ってなんですか?」と行った連絡が入ってくるようになりました。

一応、キャンセルなどもあるかも知れないしと思い、オープンにしていましたがその友人のご家族が正式に譲渡して欲しいと言ってくださったので、いよいよ決まりました、ありがとうございましたと夜には投稿をしました。

その後どこに住んでいて、いつどうやって連れて行くか、最近はどうしていたのか〜?など、ひとしきり盛り上がった末に3日後お届けするという事に決まりました。

もうすぐお別れかと思うと、より一層愛しくなってしまいましたが僕らのわからないなりにやっていたトイレ処理や夜鳴きで寝れない夜などを思うと、いい家に引き取ってもらえる事が決まりホッとしていたのも事実。

そうこうしているうちに、いよいよお別れの日がやってきました。

最後に公園へと散歩に連れて行ったのですが、和尚を見るだけで周りにいる人がみんな笑顔になっているんですね。

仕事で疲れてそうなサラリーマンのおじさんも、犬を見て急ににっこりと幸せそうな顔になっていたのが印象的でした。

大変な夏休みになってしまったけど、こいつを助けてあげる事が出来て良かったな、みんなを笑顔にしてくれるこいつこそ、天使かもしれないななんて思いながら、和尚を車に乗せて友人宅へと連れて行きました。

予想通り友人のお母さんはとてもいい人で、何も不安なく預ける事が出来ました。

犬のしつけも手馴れたもので、ついたその場で粗相をしてしまいましたが、慌てる事なくトイレのしつけに使うからとトイレシートに匂いを移していました。

この友人とも再び縁を繋いでくれたことにも感謝しつつ、泣かないように和尚とお別れをしました。

いつでも遊びに来てくださいと言ってくださったので、近いうちに会いに行きたいと思います。

家に帰ると猫たちが不思議そうにして待っていました。

しばらく家を半分隔離していたので、ようやくオープンな状態になり、あの変な生き物はどこ?とひとしきり探し回った後、いつものベッドへと入れる事が出来、やっと落ち着いた様子でした。

僕らはというとそこら中におしっこされた部屋の敷物を捨てたり、見えていなかったウンチを拾って捨てたりと、大掃除。

なんだか変な夏休みでしたが、こんな形で忙しくしているうちに終わりました。

送ってもらった最近の写真

今はクム(夢という意味らしい)と名付けられた和尚ですが、今頃元気にしているかな〜と時々気になります。

遠くからずっと見守ってあげられたらいいな、なんて思っています。

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