音楽と人生について1

エッセイ

ジャズピアノに挑戦し始めました

思えば、音楽というものが僕の人生に文字通り彩りを与えてくれました。

その最たるものが、人とのつながりです。

今はジャズピアノを勉強しているのですが、「これをやろう」と思うまで、色々とありました。

僕は別にプロの音楽家でもないし、ただの駆け出しのピアニストです。

だけど何年も何年も前から興味のあったジャズピアノ。

やっては見たいけれど、なかなか手を出せないという方も見えるかと思います。

僕も長年の間、どうやって手を出したらよかったのかわからなかったのですがようやくスタートする事が出来ました。

今回からの記事では、ジャズピアノを始めるに至った経緯をお伝えします。

参考になるかはわかりません。

ただどうしても、音楽って不思議だなという思いを吐き出したかったのです。

もしも一歩足を踏み入れてみたいという方がいれば、迷わず飛び込んでみてほしいのです。

伝え方がわからず、自分語りとなってしまいますがお付き合いいただけると幸いです。

小学生の頃。ピアノを少し習った

妹が小さい頃からピアノを習っていて、ずっと羨ましいと思っていました。

お金を払ってプロの方の家にお邪魔し、技術を習得する。

そして発表会という場で腕を披露する、というプロセスが羨ましかった。

絵の教室に連れて行ってくれていたけど、本当はピアノもやりたいとずっと思ってました。

絵を描くというのは(今でも感じますが)とても孤独な作業です。

瞑想に近いと思います。

ただし、音楽というのは一人で行う場合もあれば、大部分が他の人と一緒に作り上げていくもので、そういう人との結びつきが面白いなと思っています。

図書館にいけばクラシック音楽のCDを借りては聞いている小学生だったし、とにかく何か楽器をやりたかったんです。ベートーヴェンの月光が好きでした。

念願かなって小学校5年生の時、どうしてもとお願いして妹と同じピアノ教室に入れてもらいました。

ここのピアノ教室では、音楽の基礎だけではなく僕の趣味嗜好が色々培われていったといっても過言ではありません。

毎週思いっきり練習し、そこで飼われていた猫と遊んでから帰っていました。

猫が大好きになりました。

そこの猫が咥えてきた傷ついたインコがきっかけで、我が家ではその先ずっと何代もインコを飼うことになりました。

本当は猫が飼いたかったけれど、妹がアレルギーだったので無理でした。

そこには面倒見の良い女子中高生?くらいの綺麗なお姉さんがいたのを覚えています。

毎週のレッスンがとても楽しみでした。

ただ一年足らずで我が家が引っ越すこととなり、ピアノとは一度さよならすることとなりました。

上達していくのが楽しかったので、辞めなくてはいけないのは心底がっかりしました。

ロック少年時代

中学に上がり、誕生日に父親からギターをプレゼントしてもらいました。

モーリスの中古のアコースティックです。

(埼玉にいるとラジオで「ギターはモーリス。モーリスのギター」という宣伝があるのですが、知ってますか?)

それと一緒に買ってもらったのがアルフィーの坂崎幸之助が監修しているアコースティックギター弾き語りの教本です。

Cコードはこうやって抑える。ふむふむ。

Fコードはこう。え、無理でしょこれ・・。

などなど誰もが思うところを通ってきました。

これを読んで練習し、簡単な曲ならコードで弾けるようになりました。

弾き語りってのは恥ずかしくて一人でいる時しかやりませんでしたが・・。

とにかく、音楽って上達がわかりやすいので楽しいですよね。

それからは洋楽にどっぷりとハマりました。

ビリージョエルとか、ビートルズみたいな誰でも知ってるやつです。

周りがJポップを聴いている中、一人だけ洋楽を聴いてるのがかっこいいと思っていたのでしょう。

高校生にもなると洋楽好きが加速して何でも聞くようになりました。

特に好きだったのはグランジで、ニルヴァーナやパールジャム、ダイナソージュニアを聞くようになりました。

もちろんモーリスのギターでは飽き足らず、エレキギターを弾くように。

(初めてのエレキはフェルナンデス。。)

そしてさらに重い音を求めてハードロックやメタルにどハマりし、デスメタルへと辿り着きました。

インフレイムスやラムオブゴッドのツアーには何度も行ってヘドバンしてました。

ヘドバンとは。。。

YouTubeなんてなかったので、お互いレアなCDを買っては貸し借りをし、メタラーとして成長していきました。

ちなみに今も一番仲良くしているのがこの時メタルを一緒に聴きまくっていたやつです。

人生ってわからないものですね。

そいつ今はレゲエばっかり聴いてますが。

そして今思うとアメリカに行きたいと思うようになったのは洋楽があったからだろうなと確信しています。

何を歌っているのか、どんな風土がこんな音楽を作り出しているのか、そういったところから興味を持ったんです。

何となくジャズも好き

ちなみに洋楽ロック好き少年だった僕ですが、なんとなくジャズが好きでたまに聞いてました。

父親がフュージョン好きで、僕が3〜6才の頃、駐在で住んでいたアメリカにてギターの大規模な販売会にてフェンダーのけっこういいセミアコを手に入れた話や、パットメセニーのライブに行った話を何度も聞かされて育った影響かもしれません。

大人になってからは何度か横浜や宇都宮のジャズバーにも連れて行ってもらいました。

ジャズピアノの生演奏っていいなと思いました。

その頃買ったジャズのCDは、ソニークラークのクールストラッティンやビルエヴァンスのワルツフォーデビーなど。

クールでおしゃれなジャズです。

当時村上春樹が好きで、彼の書いた「ポートレイトインジャズ」という本を読んでは気になるジャズプレイヤーのCDを借りてきたりもしていました。

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ただ周りにはジャズに詳しい人もいなかったし、演奏している人なんてもちろんいませんでした。

そうして僕はメタラーとなり、エフェクトをいっぱいかけて重めの音を出すことに人生をかける青春を過ごしました。

金が貯まればいけてるエフェクトペダルを買ったり聴いたことのないメタルバンドのCDを買い漁ってはヘドバンしてました。

その後いくつかのバンドでギターやベースとして参加させていただきましたが、大した結果は残せませんでした。

大体はメタルっぽいバンドに入っていたのですが、唯一、Underexposedというカメラ用語を名前に使ったバンドではJポップみたいな音楽をやりました。

一人はアメリカ人のギターリストで、日本に留学中のやつでジョーと言います。

ジョーがギターをやりたがっていたので、僕はベースを弾いていました。(テキトーに。。)

このバンドで知り合ったとても物静かなドラマーは、本気でプロになりたいと考えている人で、アメリカに行って勉強したいと話していました。

その後ジョーは帰国。僕は渡米することとなり、バンドは解散。

芸術大学の美術学部へと編入が決まった僕は不安でいっぱいの中旅立ちました。

ただ、ここでも音楽のおかげであっさりと溶け込むことが出来ました。

断言しますが、音楽は最強の言語で、人と人を繋げる魔法みたいなものです。

アメリカではまた日本とは音楽やバンドというものに対しての考え方や向き合い方が全くと言っていいほど違いますが、根底は同じです。

アメリカでの経験や、その後の人生については次の記事に書きたいと思っておりますので、ぜひ読んでみてください。

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