お絵かき教室の思い出

お絵かき教室の思い出

同じ美大を出た女の子と久しぶりに話していて、ふとある女性を思い出した。
H先生だ。

H先生は僕の初めての絵の先生だ。
小学生の頃、毎週2、3回”お絵描き教室”といって集合住宅の団地の一室で開いていた子ども向けの絵画教室に通っていた。
エアコンをつけなければならない夏を除いて、一度習いに行くごとに確か300円だか500円で、気が済むまで絵を描いていられた。常に10人くらいの子どもがそこにはいた。
我々は長机を前に地面に座る。画用紙は必要な分支給される。
対面には誰かが座っている。真ん中に瓶に入った絵の具が有る。おそらく不透明水彩かガッシュだったと思う。筆は適当に転がってるか絵の具瓶にささっている。細い筆は人気で少なかったためテキトーな私の絵は大抵が太い線で縁取られている。

私はADHD気味で、小学生にして女ったらしだったので、毎回女生徒の誰かにちょっかいを出して怒られていた。何人も泣かせてしまった覚えが有る。正直あまり悪いとは思ってないが。次やったら二度と教えないと何度も怒られた。

私はここの教室に、主に夏休みの宿題を片付ける為に通っていた。
もちろん絵を描くのが好きだったのも有るが、いい暇つぶしだったから通っていたというのが正直なところである。宿題も楽々終わるし、その作品は大抵何かしらの賞に選出されるので行っていて楽しかった。芸術家になりたくて通っていたという思いなどさらさらなかった。
芸大受験対策だとかそういうお固い所ではなかったので、思い思いになんでも描く事が出来た。かなりキアロスクーロの効いたデッサンの絵が飾ってあって「いつかあんな絵が描けるようになりたいと」思った。

暇つぶしをするならわんぱくな小学生の時分他に色々とやる事はあっただろうが、ここに通っていた理由は一つ。H先生である。

H先生は奇麗な人だった。当時中学生の息子がいて(折り紙の天才だと言っていた)、見たところ30代中盤くらいだったように思う。華奢な体をしていて、色白だった。少し体が弱いみたいだった。ソバージュの長い黒髪をしていたのを覚えている。いつも黒いドレスみたいな服を着ていた。ちょっとケバかったかもしれない。なんと言うか、魔女みたいでもあった。サバサバしていてよく怒られたが、実はとても優しい人なのだった。小学6年生の時クラスぐるみのいじめにあって居場所がなくなったときの、数少ない心のよりどころとなった場所だった。

遊びに行くといつでもうれしそうに迎え入れてくれた。好きなだけ自己を表現する場を与えてくれた。自分に自信を持つ事が出来た。H先生の教えが、僕が今アーティストをやっている原点を作ってくれたのだと思う。アートは僕にとっていつも嫌なことから逃げることが出来る世界だったし、今でもそれはあまり変わっていない。だけど、これからは自意識過剰な作品ばかりではなく、他人を幸せにすることが出来るような作品に少しでも近づけることが出来れば、と思っている。

先生から習った芸術論/テクニックを、4つ覚えている。

・えっちな絵なんてない
・定規で引いた線ほど醜い物は無い。絶対使うな
・点は描くもの。置くもの
・じっと一つの色を見て、パッと白を見る。その時見える残像の色が反対色である。

これら4つは未だに私のコードとして、定礎として守られている。

現実から目を背ける時、私はいつもアートに逃げてしまう。
アーティストとして生きているのはどこまでも逃げ続けた結果に過ぎない。だけど薄々気が付いてはいる。逃げているだけではどこにも到達はしないし、アートにもそっぽを向かれるのだ。

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