絵を描くという行為は、瞑想であり魂の修練

絵を描くという行為は、瞑想であり魂の修練

私は芸術大学に入り、人とくらべたり、コンセプトの弱さやアカデミックな考えに囚われてしまったあげく、絵を描く時間よりもそれについて頭で考える時間ばかりが増え、結局一切描けなくなってしまった時期がある。

抜け出せた今だから言える。そんなのは一切時間の無駄。頭でこねくり回したってなんにもいい作品なんてできやしない。

絵を描くというのは、他の誰かのためでも、地位や名誉のためでもない。

絵で有名になって、金持ちになりたい?

そんな考えならやめたほうがいい。上手くやる方法はあるが、それはビジネスの世界だ。ビジネスを悪くいうつもりはない。俺も自分の事業を持っているしそれは楽しい。村上隆やジェフ・クーンズなんかは、もう作品作りをビジネスやゲームと割り切っている。ここではその路線は割愛する。

絵を描くというのは神聖な行為だ。全く別の次元に位置する。

絵を描くのは瞑想であり、魂の修練だからだ。

楽しい、楽しくないで考えるのもやめたほうがいい。いい絵がかければそれは楽しいし、完成したあと数時間は陶酔感を味わうことができる。

だがそんな作品ができるなんて、上手くなればなるほどまれになってゆく。だいたいは良くても「まあ、こんなもんかな」という出来や、自分で納得のいかない作品ばかりになるだろう。

だったらなんでこんな行為を続けなければならないのか?それは描いてみればわかる。描かなくてはいられないからだ。一度その没入感を感じ、主体・客体が一つに混ざり合い、キャンバス上にイメージとして展開するという経験をした人にはわかるはずだ。何かの使命を受けている、とも感じられるだろう。

もう一度言うが、絵をかくというのはそれ自体が己を滅する行為であり、魂の修練である。だから他人と比較したり、アカデミックに考えたり、有名になると言うのはただの副産物であると断言する。究極、主題も素材もどうだっていいんだ。

大切なのは、思考から解放され、「今ここ」にどれだけ没入できるかということだ。

瞑想を習慣化したい、マインドフルネスに興味があるのなら、なおさら絵を描くことをオススメする。座禅も楽しいが、絵を描くことを通して行えば「作品」というおまけがつく。

その場合は、何かを観察しながら描くのがいいだろう。それであればゴールが明確だし、観察すること自体、自我を手放す手助けをしてくれる。

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